自分が死ぬ瞬間に後悔しそうなこと
なんか、なんとなく、
自分の人生をゴールから考えてみようと思って、
「あした死ぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問」という本を読んでいる
元は計画立てるの大嫌いだったんだけど
仕事でプロジェクト管理をやっているうちに半年先の計画ぐらいまでなら立てられるようになったので
あと、台風19号の影響でたくさんの人が亡くなってて、なんか生々しい映像もテレビで流れてて怖いし
これを機に「死」というゴールの視点から今の自分を見つめ直してみようかなと思ったのだ
まず、この本のプロローグでは
自分が最後の瞬間に泣くほど後悔することは何か?を
死んだふりワークとか手足バタバタして「悔しいー!やりきれないー!」してみるワークとかをしながら考えさせられるのだが…
私はやってみてもあまりしっくり来ていない。
死ぬ瞬間、別に悔しいと思わないかもしれない。
何事にも真剣に悩んで取り組んできた…
あの人ともあの人とも真剣に向き合った…
やりきれなかった事はあるけどその時の自分なりに一生懸命やった…
だから悔やむようなことはないかな。
ただ、死ぬ瞬間に「悔しい…もっと〇〇したかった…」と思うことがあるとすれば
「周りの人の色んな表情を、もっと見たかった」…かな。
という思いがふと浮かんだ。
そう。自分自身は一生懸命その日その日を生きできたけど
周りの人、家族、友人、同僚…の、色んな表情の変化をキャッチして全部楽しめているかというとNoなんだよね。
全員と毎日一緒にいられるわけではないし。
私にとって、色んな人の毎日の表情というのは大切な思い出コレクションになっていてサラリと流すには勿体ないぐらいの宝物なのかもしれない…と今日初めて気づいた。
別にそこまで「人が好き」なキャラでもないんだけど…
その日その時その瞬間にしか体験できない限定シーン…とでもいえばいいのかな?
他のことで例えるなら…お気に入りのお店が毎日日替わり限定メニューをやっている→毎日通って一つ残らず味わわなきゃ(使命感)
今日の味は今日しか味わえないし!みたいな感じ。
周りの人の表情、反応そのものが私にとってのご褒美そのものなんだよね
笑顔じゃなくても、泣いてる顔、怒ってる顔、困ってる顔、全部…全表情が私にとって大切な毎日の楽しみになんだよね
どんだけ他人軸なんだ?って感じだけど。
死ぬ瞬間に後悔することを想像して、あり得そうな後悔がそれしかなかったんだもの。
私って実はめっちゃ「人が好き!」(飲食店のバイト募集によくある)を地で行くキャラクターだったんだろうか…?
とりあえずプロローグを読んだだけでこのボリュームの気づき。
「あした死ぬかもよ?」、とんでもない良書の予感…!